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バス停の男

バス停の男

以下は全てフィクションであり、実際のものとは一切関係ありません。

 

バイトが終わった後は夕食だ。働いてる奴ら全員でその日の残り物を食べる。

「ノベくん辞めるのかあ。ウチの唯一のイケメンがなあ」

先輩がボヤいて、何か口に入れた。
ノベくんは、この店に最近バイトとして入ってきた中学生だ。店長の知り合いの息子ということで、洗い物をしてもらっていた。

「お母さんには言ったの?」

「ウン。今朝、言った」

ノベくんは特に悪びれもせずに答えた。
俺はノベくんの方を見ないようにする。

「せめて今週いっぱいぐらい働けば」

ノベくんは黙ってスマホの画面を見る。俺は天井をただひたすら見ている。

やがて、ノベくんの母親が迎えにやってくる。

「ノベくん、やめるって言ってますけど」

「エッ。初めて聞いた」

ノベくんは嘘をついていたのだ。母親に伝えてなどいなかった。

「どういうこと。やめるって。なんでよ」

「最近、具合が悪いんだよ」

ノベくんはスマホを見たまま答える。

「嘘だ。お母さん、辞めたい理由知ってるよ。彼女が出来たからでしょ。サッカーが忙しいからでしょ」

「でも本当に具合が悪いんだよ」

ノベくんは悪びれない。むしろ苛立って、そしてそれを隠そうとしない。

「へぇ。中学一年生で、もう彼女がいるんだ。すごいなあ。さっすがイケメンだなあ」

先輩はまるで楽しんでいるかのようだった。
俺はずっと黙り続けていた。

黙り続けるしかなかったんだ。それが俺にできる精一杯の最善手だった。
俺はその時のノベくんの何もかもが気に入らなかった。口を少しでも開いたら、途中でかんしゃくを起こして、(これは医学的にはパニック障害と呼ばれるべきものだ)、ひどく口汚く罵ってしまうだろうと思った。

まだ若く、蛹から羽化したばかりの俺には、幼さは、まだ皮膚の表面の痛々しさとして残っていた。それは実感できるものだし、常に俺に何かを思い出させようとするし、逃れられないものだった。

だからこそ俺は未熟さを許せないんだ。未熟なノベくんを許せないんだ。しかし、同時に、未熟さを許せないこと自体も未熟さそのものであろうことも知っている。未熟さに対して、感情的に喚き散らすことがどれだけ愚かか想像がつく。

俺はそういう痛々しい未熟さに、内側と外側から挟まれて、結果、とうとう耳を塞いで目をそらすことしかできなくなったんだ。


メシを食い終わったので帰る。ノベくんの母親は店長と話すようだ。
バスに30分ほど乗ったところに家はある。

バス停のベンチに、異人種の大男がうつ伏せて寝ていた。堂々としたものだ。
青いギターがそいつが寝ているベンチに立てかけてあって、ベンチの下に赤ワインのビンが転がっていた。

ずいぶんその様が見事だったので、ついちょっと見入ってしまったが、関わり合いになりたくない。目をそらす。

「おい、おまえ」

大男がどういうことか起き、かすれた声で話しかけてきた。バスはまだ来ない。

「元気か」

「まあまあだね。そっちは元気そうじゃないね」

「具合が悪い」

「そう見えるよ」

「まあ、座れや」

大男は起き上がり、俺に席を空けた。
関わり合ったら面倒なんだから、よせばいいのに、何故かこのワインとギターを従えてバス停で寝ている彼に興味が出て、隣に座ってしまった。

「人生はつらいね。でもつらいことがなきゃ成長なんかできないからね」

もうこうなってしまうと俺もすっかり気分に乗ったようで、

「まあそうだね」

などと調子を合わせて答えてしまうのだった。

「おいらはよ、兄弟も死んで、おっ母も死んで、婆ちゃんも死んでよ、ひとりぼっちだよ」

「人間は元から孤独なんじゃないかい。こうして話していても、君は俺じゃないから俺のことなんてわからない。俺が本当にいるのかどうかすら確かじゃないんだ。でも、君が俺になってしまえば、俺は俺じゃなくて君になってしまう」

「なぜならおいらたちは個だから」

驚いた。ちょっと茶化すつもりで言った俺の考えの、その芯の部分をとらえて、それが常識かのように答えた。

「びっくりした。話が分かるじゃないか」

「おいらはばかじゃないのさ」

突然ギターを手にとる大男。

「ギターは弾くかい?」

俺は音楽全てを苦手としている。そう伝えた。

「そうか」

大男だ慣れた手つきで何かカントリー調のフレーズを弾きだした。まさにその時、バスがやってきた。

「あれ、俺のバスだわ」

「そうか。なあ、ちょっと助けてくれよ。どうしても5ドルがいるんだ。おなかが空いて死にそうだから、パイをくわせてくれよ」

急にそこいらによくいる乞食に成り下がった賢人の大男であった。

「2ドルが精一杯だな」

いい気分にしてくれたお駄賃のつもりで、コインを一個やり、乗り遅れる寸前のところでバスに飛び乗った。
バスの運転手に運賃を払う。いつもは小銭で溢れかえっている財布は、いつになく軽かった。