土井先輩

3年の土井先輩は人気があった。1年男子からの卑しい羨望の目を向けられていた。そういう意味だ。

同時に、僕も人気があった。土井先輩を密かにアイドルのようにあつかうやつらに人気があった。

僕は中学一年生にしては性知識が豊富だった。あのコンテクストの中では何でも知っていた。知識の神様だった。
おい、まんこってなんだ、セックスってどうやるんだ、女子もイクのか。
二次性徴期の迷える子羊たちを救っているうち、自然とこう呼ばれるようになった。『エロ神様』と。

エロ神となった僕はどんどん布教活動を拡げていった。黒板には外性器の図解を大書きしたし、パイパンの意味などを二年生がわざわざ聞いて来たのに答えたし、エロ漫画をプリントアウトして配った。ヤンキーが僕を訪ねて教室まで来たときはどうなることかと思った。

周囲は僕には怖いものがないと信じた。僕はさながら、抑圧された性の開放の象徴であり、開拓者のメタファーであり、本物の神のように強大であることを求められた。
違う。実際の僕は中学一年生男子、それもそうとう冴えない部類の人間だった。僕という性の承認を得た周囲はどんどん大胆になっていったが、僕自身は臆病かつ懐疑的なままで、なにもできなかった。僕には力がなかった。

僕が神として君臨し性を承認しづつけたがために、周りが影響され、性に対して極端に関心を示すようになってしまった。
自慰の回数を聞かれたので正直に答えると、(当時の僕は大変頻繁にそれをしていた)、その回数を超えようとするものが多数あらわれ、競い合うようになり、回数の申告は授業中に飛び交った。

ずりパンなんて遊びもはやった。相手のズボンを急におろすのだ。最初は男子どうしだけだったのが女子にも広まり、最終的には男子と女子がお互いにやりあいはじめた。あきらかにやりすぎだと思った。僕は実際に異性と交流をもつことに関しては非常かつ異常に保守的だったのだ。

問題はこれら二次災害とでも呼ぶべき影響が、僕は直接には関係ないのにもかかわらず、僕のしわざにされてしまったことだ。これには大変困った。

ともかく、あの夏の日、僕は彼らに芽生えたばかりの性欲を全肯定し、不安や困惑を払拭する、あだ名のとおり本物の宗教における神に近い存在になっていた。

僕以外の部員全員が土井先輩のファンだった。あこがれていたし、容姿を好いていた。
僕はそのころはちょうどアイデンティティーが最大限に屈折していたので、土井先輩のファンにならなかったし、興味もなかった。彼女の顔は『普通』に見えたし、アイドルの類いを追いかけることに意義が見つけられなかった。
どちらかといえば2年の清水先輩のほうが好きだった。美人だったしスレンダーでスタイルがよかった。中学校を含むある次期まで僕は細長い女の子が大好きだったのだ。
清水先輩の魅力についても当然熱弁したが分かってもらえなかった。彼らには胸のあたりにある脂肪のかたまりしか見えず、それこそが全てで、長く健康的な脚や足、薄く平たい胴が沿ったときの美しさなど眼中になかったのだ。

あきらめて僕も土井先輩の応援とやらに参加していた時のことだ。感情が昂ってしまったのだろう、一人が立ち上がるそして彼は、

「土井せんぱーい、すきでええええっす」

グラウンドにむかってはずかしいぐらいそのままの、無圧縮で残酷な血迷いを叫んだのだ。

土井先輩はこちらを向いた。ざわつく。これまでファン活動はひっそりと行われていた。気づかれないようにやっていた。土井先輩に話しかけるなんてもってのほかだった。
それを彼は、グラウンドのどまんなかで、他の部活もいるなかで、めちゃくちゃなことを本気でもないのに叫んでしまった。
明らかな失態。

彼はもうおしまいだと思った。女子に必要以上に接触してしまった以上、軽蔑され敬遠されるに違いない。屈折した僕は勇気ある少年の無謀を無意味で反社会的かつ反秩序的行為ととらえた。

「あいつでーす。あいつがやったんです」

そう、すっかり忘れていた。そういうのを僕はいま全肯定していて、このコンテクストにおいて僕は神であって、免罪のメタファー。
僕のせいにすれば彼らは免罪され僕の神格が上がる。彼らの信仰にとってこれ以上ない状態になるのだ。

こうして僕ひとりのみが土井先輩の狂信的ファンということになり、僕ひとりのみが土井先輩から軽蔑され敬遠され、僕は性アイデンティティーをより一層屈折させるのだった。