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期待と幻想と失墜のカレーパン

疾走に伴う失敗と苦痛、およびニーソックス 創作

サクサクと香ばしいカレーパンの内側から溢れ出す熱々のカレー・ソース。それを思い浮かべた時、私はもうすでに走り出していた。

カレーパンは決して私の大好物ではない。私はまだ若く青臭いが、世の中にカレーパン以上に美味いものがあることを感知しないほどに愚かでもなかった。
しかしそんなことはどうでもよかった。とにかくその時、どうしても、いかなる代償を払おうともカレーパンが食べたかった。かつて経験したことがないほどカレーパンを求めていたのだ。
カレーパン。カレーパン、カレーパン、カレーパン。私は走りながら呟いていた。


二つある最寄り駅の、家から少し遠い方。その小洒落た私鉄駅に汗だくになって辿りつかんとしていた。
不安になる。果たして、駅前のパン屋、カプチーノが美味しいと評判のその店頭に私が思い描き渇望せしカレーパンの姿はあるのだろうか。

私鉄駅はショッピング・モールに直結していた。
いつか友人に連れてこられたアパレル店と、ミニスカートで異性を誘惑しようと必死な発情女どもをかき分け、中学時代陸上部ナンバー2だった実力を持つスプリンターたる私は颯爽と駅前へ向かう。
カレーパンしか頭になかった。他のことなどまるで眼中になかったのだ。

だから、すれ違った佐野先輩が話しかけてきたことにすら全く気づかなかった。


突発的なリビドーは時として、より強いはずである欲望すらも追い越し優先順位を入れ替えて最善の結果を阻止する。

後悔したって遅い。
「あの時、カレーパンなんて放っておいて佐野先輩に抱きついていれば」「ハグはともかく気づいて話を聞ければ」などとボヤいたところで、完了したことは何も変化しないのだから。


ほとんど跳ねるようにしてアパレル店のならぶエリアを過ぎ去り、歩道橋を渡って駅前のスーパーへ。
自動ドアをくぐると空調の風が心地よく火照った筋肉を涼ませる。歩道橋と繋がっている入口はスーパーの二階であり、入るとすぐに階段とエスカレーター、エレベーターがある。

選ぶ余地などなかった。私は身につけた制服がスカートであるのも忘れ、はあっと気合い声をあげて手すりに尻をのせて一気に滑り落ちた。
手すりから跳ねおりるとローファーのひもが耐えきれず切れてしまったが、私はなにも考えられない異常状態。躊躇することなく脱げ落ちたローファーをそのまま置き去りにし、一階のドアからスーパーを飛び出した。


駅前に敷き詰められたレンガの道を駆け抜け、ついにゴール。パン屋である。
落ち着け、私。
早まる動悸をなんとか抑えてトングとトレーをつかむ。カレーパンはどこだ。店内を見渡す。
レジの横の机を見る。あった!
メロンパンのとなり、悠然と黄金色に衣の上の油を輝かせる一つのカレーパンが鎮座していた。

カレーパンに向かってトングをつきだした、その時だった。右から伸びた別のトングによってカレーパンは奪われてしまったのだ。
どうしていいか分からなかった。私の悲願が、渇望が、カレーパンが、果たされる寸前に砕かれたのだ。
こういう時はどう処理すべきか?結局私は、膝から崩れ落ちてみることにした。

「そんなに食べたかったのかい、カレーパン」

見上げるとブレザーを着た男性が苦笑していた。中学の陸上部の時の先輩だった。

「ひどい格好じゃないか。汗だくだし、スカートもボロボロ。靴はどこへやった?」

「カレーパンがなぜか無性に食べたくなって、家からここまで走って来たんですよ」

目線を落とし消えかすれそうな声でなんとか応じる。
急激にクールダウンした脳髄が状況を理解して恥ずかしさとして処理していた。
とうぜん居たたまれなくなり、赤面し、どうしていいか分からなくなった。
私はいつもこうだ。勢いに任せて突飛な行動をし、後先考えず暴れ、しかしどこかで何かにぶち当たって止まった瞬間に冷静になって後悔するのだ。

「そういうところは変わってないね」

ゲラゲラ笑っている先輩をにらみながら、私は壊してしまったローファーのことを考えて憂鬱になった。